しかし、善きことが起こった時には、「どうしてあたしだけ」とは問わず、その喜びに浸ります。
存じ上げる霊能者に伺いますと、悪しきことと喜ばしいことが起こる時、それはコインの裏表で、表面的には大きな差がありますが、魂的には一緒のことだそうです。
さらにそれを敷衍しますと、悪しきことが起こった時には、その後の大きな喜びの種が蒔かれた時なので大いに喜ぶべきなのかもしれないそうです。
悪しきことも善きことも、生まれる前に自分自身で巻いた課題の種子が芽吹いた時だそうです。
表面的に悪しきことも本当は決して悪いものではなく、表面的に悪しきことも善きことも、自分自身にとってだけの良きことなのだそうです。
さすれば、悪しきことが起こりました時には、凹まず、これをどのように善きことに変えようかと思案し、善きことが起こった時には、もっと善きことが起こるようにどのようにしようかと、常に前向きに考えるのが良いそうです。
前向きに考えますと、心が神様の波長と同じになり、常にあたしたちを見守り、あたしたちに善き智慧を授けて下さる神様とつながりやすくなりますので、神様からの善き智慧を受けやすくなるのだそうです。
善い意味で、悪しきことも善きこともゲーム感覚でやればよいのだそうです。
あたしたちの魂は決して死なず生き通しで、なんども生まれ変わってチャレンジできるのだそうです。

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