例えば、キリスト教では、エデンの園を追い出されたアダムとイブは、罰として労働をせねばならなくなったと記されています。
それでは、神道では労働をどう考えているかと申しますと、神道では、物事を生み出すことを喜びと考えますので、労働は神聖であり、尊いことであると考えます。
古事記や日本書記には、高天原では、神様ご自身がお働きになられて徳を積まれる勤勉なお姿が記されています。
最高神までも労働をなされておられるそのお姿をお手本として、毎年皇居の水田で天皇陛下御自ら長靴をお履きになられ、農作業の伝承のためにお田植をなさります。
左様に労働の中に歓びを見つけるのが良く、いま、より良い仕事を探しておられる方、人生の目的を見失った方、気分が晴れない方は、目の前にあるやるべきことを神様から与えられた自らの仕事と考えて、それに熱心に取り組むことに寄りまして、運が開けるそうです。
ある神職の方から教えていただきました。

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