今は死語になりつつある、「お天道様がご覧になっている」という言葉があります。
その意味するところは、誰にもわからないからといってもお天道様はご覧になっているので、神様に恥じるようなことはしてはならぬと自分を戒める言葉です。
これに対しまして、屁理屈を仰る方は、それでは、お天道様がご覧になっていないときには悪しきことをしても良いのかと反駁なさるようです。
この神職の方は、それは良いじゃないかとおっしゃいます。
なぜかと申しますと、一つには、お天道様がご覧になっていないということはほとんどない、そして、人間は神様ではありませんので、聖人君主にはなれず、雪隠詰めの生活では苦しくなるため、逃げが必要だと説かれるからです。
しかし、その代わり、せめてお天道様がご覧になっている時、つまり公が入る時ぐらいは、誠実にすべきとの由だそうです。
何事も緊張と緩和で、無理なく、より良い状態に進むのが肝要だそうです。

にほんブログ村






