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2022年02月20日

仮名(かな)は神名(かな)

ある霊能者の方から教えて頂きました。

神道では、言霊と申しまして、使う言葉に留意すべしと説きます。

発した言葉によりあたしたちの未来が左右されます。

良い響きの良い意味の言葉を使えば善き未来が「類は友を呼ぶ」の通り、引き寄せられ、悪しき響きの悪しき言葉を使いますと、あたしたちが望む通り、悪しき未来が引き寄せられます。

それはなぜかと申しますと、日本の50音はすべて神様の名前から来ているからだそうです。

仮名(かな)は神名(かな)なのだそうです。

ですから、それぞれの音にはあたしたちの想像を絶する力が秘められているのだそうです。

さすれば、善き言葉であればそれが増幅され、悪しき言葉であれば逆に悪しきことが増幅されるのだそうです。

その取捨選択はあたしたちに託されています。

善き未来を引き寄せるのが肝要です。
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posted by miya at 01:31| Comment(0) | 神主からの言葉

いよいよとなった時は神様の助けを受ける

ある神職の方から教えて頂きました。

神様はあたしたちに自由を与えて下さり、あたしたちの行いを否定も非難もせずにご覧になっています。

しかしながら、あたしたちが勝手気ままにやっておりましても、あたしたちがどうしようもない時には、必ず助け船を出してくださるのだそうです。

ただ、それを受け取るか受け取らないかはあたしたち次第だそうです。

「神も仏もあるものか」とおっしゃる方もおられますが、それは、神様が見放されているのではなく、あたしたちが神様の助け舟を無視したり、素直にならずにひねくれて受けないからだそうです。

どうしようもなった時には、素直になり、神様にすがって助けてもらえばよいのだそうです。
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posted by miya at 01:28| Comment(0) | 神主からの言葉

あたしたち自身が神

ある神職の方から教えて頂きました。

神道では、神様とあたしたちの間に切れ目はありません。

天皇陛下があたしたちを赤子(せきし)と呼ばれるように、あたしたちは神様の子供であり、全ての人は先祖をたどっていきますと神様にたどり着きます。

このことは、神道の、日本の大きな特徴であります。

さすれば、本来あたしたちも神様と同様に、本来悪しきこと、ネガティブなことには縁がないはずです。

この世の中では、あたしたちは様々なことをする自由を付加されております。

ところが、あたしたちの感情を冷静に観察すれば、もともと縁のない悪しきことを行うとき、それはどこかに歪を生んでいるはずです。

逆に神様が喜ばれることをするとき、それは神様の子供である自分自身も喜ぶことであり、さすれば、善き感情になるはずです。

自分のよき感情に素直に行動するのが良いそうで、さすればおのずと神様の道を歩むことになるそうです。
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posted by miya at 01:24| Comment(0) | 神主からの言葉

2022年02月19日のつぶやき








posted by miya at 00:01| Comment(0) | 神主からの言葉