神道では、神様が山に降臨なさると考えました。
そのため、大神神社の様に、山自体がご神体となっているところもあります。
一説には、エジプトに山がなかったために、山に似せてピラミッドを作った由です。
左様に、人間は、山を神聖なものと考えてまいりました。
その山に生えている木に対しましても当然畏敬の念をもってまいりました。
地鎮祭などでは、榊の木を神籬(ひもろぎ)にいたしまして、ここに神様に降りてきていただきます。
「木には気が宿る」と申しまして、木は、神様の拠り所となり、そのために、神様は、一柱、二柱と数えます。
今富士山がごみ捨て場の様になっていると伺います。
そのほかの山でも同様の事態が起こっている由です。
昔、富士山は、畏敬の山として、神様を熱心に崇敬なさっている方は登られなかった由。
山、そして木の大切さを考えて、真摯に、謙虚に対応したいものです。

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