トラブルとは何かと改めて考えてみます。
ある出来事が起こります。その出来事自体は、善きことでも悪しきことでもなく、ただある出来事として起こっただけです。
ところがその出来事に対してあたしたちがどのような態度をとるかによりまして、その出来事は、意味を持ちだします。
あたしたちがその出来ことを受容できないとしますと、それはトラブルになります。
しかし、起きたことをまずは受け入れて向き合えば、その出来事は必ずしもトラブルにはならなくなります。
例えば、乗ろうと思った電車に間に合えず、乗れなかったと致します。その時、あたしたちは、予定していたことが実現できず、それはトラブルとなります。
しかし、電車に乗れたか乗れなかったかは、トラブルでもトラブルでなくもなく、ある出来事です。
これに拒否反応を示せば、それはトラブルになりますが、神様からの何かを考えるべしとの贈り物と考えますとそれは未来における幸せの種子となります。
これを別の言葉で置き換えれば、それは結果に執着しないということになります。
自分で結果を勝手に予見し、それに比較して、結果に執着するから問題が発生します。
何事もご神慮のままに、神様のなされることに間違いなしと考えるのが肝要だそうです。
そうは云いましても、毎日の生活でそう思えないこともあります。
まずは、少しずつご神慮任せにする事柄を増やしていくのが肝要だそうです。

にほんブログ村















