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2022年05月22日
2022年05月21日
差を設けない
神道では、八百万の神様と申し上げ、神様は偏在なさると考えます。
このことをもう一度意識しなおすのが肝要です。
八百万の神様と申し上げますのは、神社にお祀りされております神様をはじめ、路傍の花や石にも、川にも山にも、植物にもそして、動物にも、勿論それぞれの人間にも神霊が宿ると理解するということであります。
また、大工さんに伺いますと、建築が終わり、竣工式などを致しますと、一瞬家が光るように感じることがある由、その時、家に魂が入ったと思われるそうです。
つまり、家など物にもご神霊が宿るわけであります。
これは、どういうことかと申しますと、神様がお創りなさった全てのものには、神様の魂のかけらが入っており、そこには、差がなく、全てが神様であるということを意味いたします。
日本人は、古来、動物にも名前を付けて可愛がり、針なども、針供養をするなど、やはり物に宿るご神霊を邪険にしませんでした。
このことは日本人の、ものを尊重し大切にする基であります。
しかし、最近このことを忘れている方もおられるようです。
もう一度思い出し、全て差を付けずに神様として大切にやさしく、尊敬をもって接したいものです。

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このことをもう一度意識しなおすのが肝要です。
八百万の神様と申し上げますのは、神社にお祀りされております神様をはじめ、路傍の花や石にも、川にも山にも、植物にもそして、動物にも、勿論それぞれの人間にも神霊が宿ると理解するということであります。
また、大工さんに伺いますと、建築が終わり、竣工式などを致しますと、一瞬家が光るように感じることがある由、その時、家に魂が入ったと思われるそうです。
つまり、家など物にもご神霊が宿るわけであります。
これは、どういうことかと申しますと、神様がお創りなさった全てのものには、神様の魂のかけらが入っており、そこには、差がなく、全てが神様であるということを意味いたします。
日本人は、古来、動物にも名前を付けて可愛がり、針なども、針供養をするなど、やはり物に宿るご神霊を邪険にしませんでした。
このことは日本人の、ものを尊重し大切にする基であります。
しかし、最近このことを忘れている方もおられるようです。
もう一度思い出し、全て差を付けずに神様として大切にやさしく、尊敬をもって接したいものです。

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posted by miya at 00:59| Comment(0)
| 神主からの言葉
年神様
ある神職の方から教えて頂きました。
元旦には、元日にやってこられる年神様を各家家でお迎えし一年間の幸せを祈ります。
大切な神様をお出迎えするわけですから、着るもの、履物から下着、茶わんまでも新しくして十分な用意をして神様をお迎えし、そのために歳の暮れには大掃除をいたしまして、玄関にはしめ飾りを飾ります。
そのしめ飾りは、神々様が家を訪れなさる時の目印であり、その家が神聖な場であることの証であります。
これらはみな神道に基づいた行事であります。
そうしたことを意識せずに行ってきなさった人も多いでしょうが、あたしたち日本人の心象に神道の感覚といったものが深く根差しておりますので、こうした行事を後世に受け継いでいきたいものです。
因みに年は、日本人にとってとても大切なお米も意味いたします。
つまり、「年」は日本人にとり需要なものであることがあらためて分かります。

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元旦には、元日にやってこられる年神様を各家家でお迎えし一年間の幸せを祈ります。
大切な神様をお出迎えするわけですから、着るもの、履物から下着、茶わんまでも新しくして十分な用意をして神様をお迎えし、そのために歳の暮れには大掃除をいたしまして、玄関にはしめ飾りを飾ります。
そのしめ飾りは、神々様が家を訪れなさる時の目印であり、その家が神聖な場であることの証であります。
これらはみな神道に基づいた行事であります。
そうしたことを意識せずに行ってきなさった人も多いでしょうが、あたしたち日本人の心象に神道の感覚といったものが深く根差しておりますので、こうした行事を後世に受け継いでいきたいものです。
因みに年は、日本人にとってとても大切なお米も意味いたします。
つまり、「年」は日本人にとり需要なものであることがあらためて分かります。

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posted by miya at 00:56| Comment(0)
| 神主からの言葉